「考えるな」「行動しろ」と言われても、深刻に 考えすぎる 。
よく周りに、考えすぎと言われる…
こういう悩みがある人は多いと思います。
そんな人にぜひ見てほしい、
今すぐにできる
シンプルでわかりやすい
「考えすぎるのをやめる方法」についての記事を見つけました。
これを読んで、考えすぎる悩みから解放されましょう!
目次
考えの99%はムダ
上司はどう思うかな?
やらかして仕事クビになったらどうしよう?
彼女は僕のこと好きなのかな?
彼は私のことなんてどうでもいいのよ。
失敗してばかりだ。
なんで私の人生は終わってるんだろう?
何も終わらない。俺、どうしちゃったんだ?
こんなふうに、考えを巡らせた結果、どうしていいか分からなくなることってありますよね。
考える、心配する、ストレスを感じる、おかしくなる…
この記事のライターDarius Forouxさんは、
考えの99%はムダだ
と言っています。
いや、考えたら答えが出るかもしれないし…
考えないようにしようとしても、つい考えてしまう。
考えずに何もしなかったら、アイデアも生まれない
という意見もあると思います。
では、考えることで、私たちは何をしているのでしょうか?
訓練された内科医から哲学者になった、ウィリアム・ジェームズという方はこう言っています。
「非常に多くの人々が、自分たちの偏見をただ整理しなおしているだけなのに、考えているつもりになっています。」
偏見を整理しなおしているだけ!
思い切った表現ですが、あながち間違っていないかもしれません。
自分の頭の中にある考えを、煮たり焼いたりしても、
トマトから魚は生まれないし、
牛肉がブロッコリーになることはありません。
生トマトなのか、焼いたトマトなのか、トマトピューレなのか、
形は違っていても、トマトはトマトのままです。
偏見は、考えても偏見のままなので、確かに考えることはムダなのかも。
自分の心は自分のためにはたらくべき
心は道具であり、自分の心は自分に対抗してではなく、自分のためにはたらくべきです。
彼は、
自分が心をコントロールするのではなく、心にコントロールされてしまってはいけない
と言っています。
考えすぎているときは、心にコントロールされている状態です。
深刻に 考えすぎる のは、やめることができる
皆、「つい考えてしまうんだ」と言いますよね。
でも十分な練習をすれば、考えすぎをやめられます。それはスキルです。
つまり、あなたには自分の考えを決定する能力があります。
考えないことにすることもできます。
練習することで、考えすぎをやめられるなら誰にでも希望があります。
考えるのも考えないのも、自分次第だということですね。
考えることが役に立つ時とは
考えることが役に立つのは、問題の解決法について考えるときです。
問題とは、答えが見つかっていない質問です。
頭を使って、問題を解決する方法を考えてください。
あなたの人生、キャリア、仕事、人間関係などを改善するために、その知識をどのように使うことができるか。
それを考えてください。
他の考えは、すべて無視してください。
最初にでてきた「考え」の例をもう一度、一つずつ見てみましょう。
上司はどう思うかな?
上司がどう思うかなんて、考えても分かりません。
解決方法:本人に直接聞いてみる。
やらかして仕事クビになったらどうしよう?
やらかすことが心配なんですね。
心配になるということは、その仕事に自信がないということです。
解決方法:その仕事に自信が持てるまで、何度も練習する。
彼女は僕のこと好きなのかな?
彼女がどう思ってるかわからないんですね。
解決方法:本人に直接聞いてみる。
彼は私のことなんてどうでもいいのよ。
彼が自分に対してそっけないと感じてるんですね。
解決方法:自分に関心を持たせるためではなく、彼のことを大事に思って行動すること。
失敗してばかりだ。
素晴らしいじゃないですか!
成功してばかりだったら、いつまでも成長できません。
解決方法:なぜ失敗したのか分析して、その原因をなくす。
なんで私の人生は終わってるんだろう?
終わっているとしたら、あなたはこの世にいませんよ。
解決方法:せっかく生きているのだから、後悔しないように生きる。
何も終わらない。俺、どうしちゃったんだ?
昨日より一歩でも前進したならOK。
解決方法:今日、何か一つでも前進する。
深刻に 考えすぎる のをやめる方法
「どうしたらムダな考えをやめるように自分自身を訓練できますか?」
考えに気づくことです。
考え始めるたびに、それに気づいてください。自分の脳を観察してください。
「ああ、それはすてきな考えね。じゃあ、現実に戻ろう。」
面白いなと思ったのが、これ、 仏教の瞑想(めいそう)の仕方と同じですよね?
客観的になり、自分の脳を冷静に見る。
浮かんできた考えに対して、判断はしない。
この方法で瞑想をしている友達が言うには、
毎日瞑想をしていると、この「観察」ができるようになります。
そして瞑想をしていないときでも、ふだんからこれができるようになるのです。
この客観的に観察することができれば、
心を「使って」いるのであり、心に「使われている」のではない。
と言えます。