日本人は無宗教だとよく言われますよね。
ある調査によれば、半数以上の人が無宗教だと自覚しているそうです。
無宗教と言うと、「何の宗教も信じていない」という意味のようですが、
無宗教(むしゅうきょう)は、概して特定の宗教を信仰しない、または信仰そのものを持たないという思想・立場を指す。
引用:無宗教(WIkipedia)
つまり、無宗教の人はどの宗教も信じないし、お寺でも神社でもお祈りしないとも解釈できます。
でも実際は、クリスマスにケーキを食べたり、お正月に神社に初詣に行ったり、お墓参りに行ったり、実家の仏壇の前で手を合わせたり…日本人ならほとんどの人がしますよね。
私は、26歳の今になって、実は気づいていないだけで、宗教を信じて来たのかもしれないと気づきました。
日本人の多くがきっと同じように考えているはずなので、参考になれば嬉しいです。
目次
「宗教は?」「無宗教だよ」
日本ではあまり、というか全く聞かれることのない「宗教は何を信仰しているの?」という質問。
海外で聞かれた時には、「何も信じてないよ(無宗教だよ)」と答え続けてきました。
事実、私は特定の神様を信じていないし、神頼みが好きではないからです。
日本では教会での結婚式、神社での初詣、仏教でのお葬式、なんとなく習慣になっているだけで、 特にこれといって「私は〇〇教の一員だ」と認識している人は少ないです。
ほとんどの人は、実家が〇〇の宗派で… ぐらいの区別はあっても、毎日お経を読んだり、神様のことを考えたりはしませんよね。
私はむしろ、神様や仏様といった、目に見えない存在を信じていませんでした。
だから、「私は無宗教だ」と信じて疑いませんでした。
Photo by Nicola Fioravanti on Unsplash
宗教ってなに?
ところで、日本で「宗教」という言葉は少しネガティブに聞こえます。
それは、新興宗教やカルトのイメージが強いからのようです。
宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
引用:宗教(Wikipedia)
なんかむずかしくてよくわからないので、もう一度。
宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
修飾語句をとってみると、宗教とは観念であり、社会集団のことである。
神様を信じるとか、神様という語は入っていません。
ですが、「人間の力や自然の力を超えた存在」が、いわゆる神を表しているとも解釈できますね。
「お祈りをするから〇〇教の信者だ」というわけではない
Photo by tam wai on Unsplash
宗教と言うと、教会、モスク、お寺、神社に行くといった形式的なことをイメージしがちです。
では、お祈りはしないけど、その宗教の教義には共感しているという人がいたとします。
その人はその宗教の信者では無いのでしょうか?
当然、本人が信者だと自覚しているのだから、「信じている宗教は何ですか」と聞かれればその宗教を答えるでしょう。
「この世に唯一絶対の神様がいる」という考えに違和感を感じた
歴史上、最も争いの少ない現代でさえ、宗教をめぐる争いが続いています。
そのうちのひとつが、イスラム教とキリスト教の対立。
どちらも「この世に唯一の神様がいる」とそれぞれ違う神様を信じる一神教なので、 どこまで行っても折り合えません。
イギリスに住んでいると、また英語について考えると、「この国はキリスト教の国だな」と改めて感じることも多いです。
例えば、ことあるごとに会話に神様が登場するし、日曜日は教会に行く人が多く静かだったりします。
Oh, my God. = うわー、しまった!
Dear Lord. = 悲しみ、悔しさなど強い感情を表す
Jesus Christ! = ちくしょう!
For God’s sake = お願いだから
Bless you. ( = God bless you.) = 神のご加護がありますように(くしゃみをした人に対して言う)
God knows. = 神のみぞ知る(誰も知らない)
…など、神様が登場する英語のフレーズは数知れず。
私は人がどんな宗教を信じようと、それを尊重します。
ただ、そんな唯一の「神様」の存在に違和感を感じていました。
「私は無宗教ではないかもしれない」
私の「自分は無宗教だ」という宗教観に疑問を感じたのは、「サピエンス全史」という本を読んでいる時でした。
仏教の教え「苦しみから逃れるには心を整える」「足るを知る」
ホモ・サピエンス(私たちのこと)が登場する前の歴史と、 人類の歴史を俯瞰して、生物学的・科学的にわかりやすく説明した本です。
下巻の中で、宗教の話から、仏教のおこりと基本的な法則について説明しているところがあります。
仏教の起こりについてはかなり長いので割愛して、ゴータマシッダールタが悟った教えのみを引用すると、
そしてついに、苦しみは不運や社会的不正義、神の気まぐれによって生じるのではないことを悟った。苦しみは本人の心の振る舞いの様式から生じるのだった。
…苦しみは渇愛(※)から生まれるので、苦しみから完全に解放される唯一の道は、渇愛から完全に解放されることで、渇愛から解放される唯一の道は、心を鍛えて現実をあるがままに経験することである、というのがその法則だ。
…神への信仰は、彼らにとってそれほど重要ではない。一神教の第一原理は、「神は存在する。神は私に何を欲するのか?」だ。それに対して、仏教の第一原理は、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」だ。
サピエンス全史(下)第12章 宗教という超人間的秩序
(※)渇愛・・・のどがかわいて水を求めるように、激しく執着すること。 – goo国語辞書
まさに、私が今まで周りの大人から教えられてきたこと、私が信じてきたこととほぼ一致してる!!
限りなく欲しがるのではなく、足るを知ること。
苦しい時は、自分の心を整えること。…
Photo by Sabine Schulte on Unsplash
学校の先生方や家族も、「私は仏教を信仰していて、今からその教えを説きます」なんてことは言いませんよね。
「仏教の教えとして」ではなく、きっと「先祖代々教えられてきたこととして」、みんな当たり前に信じているんだと思います。
だから私も、「これは仏教の教えなんだよ」とこの本に教えられるまで気づかなかったのです。
日本独特の「ミックス宗教」仏教+神道+儒教
神道でも同じことが言えます。
そこら中に神様がいるから、ゴミをポイ捨てしたらバチが当たる。
食べ物に神様が宿っているから、ご飯は一粒残らず食べなさい…
お箸をご飯と自分の間に置くのは、食べ物にも神様が宿っているからという考えからきています。
つまり、人々の間に当たり前のこととしてその考えが浸透していて、その考えに基づいた習慣もあります。
でもそれを宗教と意識していないので、自分では無宗教だと思っているのです。
たぶん正確には、日本独特の仏教+神道+儒教というミックス宗教の教えを、誰もが知らず知らずのうちに刷り込まれているのです。
※キリスト教、イスラム教などの一神教のみが宗教であり、仏教、神道などの多神教は宗教とは呼べないと主張する人もいます。この記事では、便宜上全てを「宗教」と呼んでいます。
Photo by Sabine Schulte on Unsplash
ちなみに、この「サピエンス全史」という本は、めちゃくちゃ面白いです。
ここ最近で一番して良かったと思う投資です。そのくらい価値があります。例えも多くて、分かりやすい。
【サピエンス全史】
読むたびに毎日発見と驚きの連続で、めっちゃ面白い!
すぐに役立たないこういう事こそ、小手先の「〇〇でいくら稼ぐ方法」とかよりずっと価値があると思う。
— えみねむ/幸せ増やし隊 (@rainbowlifeblog) 2018年9月1日
人の体は狩りと採集をするように設計されている。
野生のものを食べる生活から、畑を耕し家畜を飼う生活になって、 人は腰を痛めた。
つまり人の体は、
家の中に一日中座っているのには向いていないし、
オフィスに座って一日中パソコンを見つめるのにも向いていない。
#サピエンス全史— えみねむ/幸せ増やし隊 (@rainbowlifeblog) 2018年9月9日
私たちは「宗教」と呼ばずして宗教を信じている
無宗教だと思っている人も、あえて分類するなら、仏教、神道、儒教を概ね信じているけれど、宗教を信じている自覚がないというのが正しいのでは?と思います。
私たちが無意識にとる行動、深く考えずに正しいと感じる考え方を見直してみると、意外とその中に宗教が関係するものがあるかもしれません。
結婚式もお葬式も、何式でもいい
無宗教だと自覚している人でも、必ず宗教を選ばざるを得ない時があります。
それが、結婚式やお葬式などの儀式です。
Photo by Annie Spratt on Unsplash
典型的な日本人は、 結婚式ではキリストに愛を誓い、お葬式では念仏を唱えます。
しかし、本人が信仰深くないならば、どれか一つの宗教の形式を無理に選ばなくてもいいのではないでしょうか?
例えば、イエス・キリストを信じていない人が教会で結婚式を挙げたとしても、本心から神に愛を誓うことはできないと思います。
浄土宗の理念に共感しない人が、念仏さえ唱えれば極楽浄土に行けるとは信じられないのです。
そんな中途半端な気持ちで表面だけ「誓います」というのも、その神様に失礼な気がしてしまいます。
宗教を「考え方」として取り入れたい
そうした形式的なものは置いておいて、宗教の「考え方」の部分は、今の私たちの生活にも大いに役立ちます。
人からされて嫌なことはしない、
家族や周りの人を大切にしなさい、
正直に生きなさい…
生き方についての教えは、どの宗教も似たところがあります。
現代でも、辛いことがあった時、悩んでいる時など、こうした教えが自分を救ってくれることでしょう。
宗教について興味がある人は本を読むべし
宗教のことを知りたい時は、ネットはあまりオススメしません。
というのも、表面的なことしか理解できないからです。
できれば数冊、本を読んでみるのがいいと思います。